Keyさん、英語教師(29歳)ディスグラフィアを強みに変える、英会話教師としての道

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

 

 

「大人の読み書きLD体験談」第二回目は、ディスグラフィア当事者でありながら英語教師として働くkeyさん(29歳)です。言語を扱う仕事をされている中での困りごとや、不登校の経験から学んだこと、さらには英語教師を目指した理由や、耳から覚える事が得意な、自身の特性を強みに変える方法についてお話ししていただきました。

インタビュアーLedesone Ten

 

現在のお仕事について教えてください。

 

 

今の仕事は、アルバイトと個人自営業で英会話教師をやっています。

生徒は中高生が多くて、英語教師は大学卒業後すぐに始めました。

元々日本語教師を目指して資格を取ったのですが、卒業した年がちょうどコロナが始まった年で、海外に行くことができなくなって。それで英語も教えてみようと思ったのがきっかけです。

中々チャレンジングなことでしたが、企業に入って会社勤めを続ける事が向かないだろうと思い、最初から個人で始めました。

 

LD(ディスグラフィア)に関してお仕事の部分で困りごとについて教えてください

 

 

仕事の上で、書字障害で困る事は、手で文字を書かなければならない部分が辛いですね。
バイト先では新規のお客さんの面接時に書類の記入や契約書の書き込み、メモを取ることを求められますが、それが難しいのでパソコンを使わせてもらっています。

自営業は基本的にオンラインでやっているので、メモもすべてパソコンで行っています。特に困りごとはありません。
アルバイトの方でもパソコンやタブレットを導入すれば困りごとは減ると思います。

私の場合は漢字が壊滅的に書けなくて、書こうと思っても手が動かなくなりますし、移すことも難しいです。住所など何度も書いたものはたまに確認しながら書けますが、基本的には英語でメモをしています。

あとは友達のバースデーメッセージなどをその場で書くように頼まれた時ですかね。

焦るし、恥ずかしい気持ちになります。

 

 

LD(ディスグラフィア)の診断がついたのはいつですか?

 


ディスグラフィアの診断書を受けたのは随分最近で、3、4年ぐらい前です。

きっかけは、日本語教師の試験があったことです。その試験には筆記試験が含まれていて、筆記は無理だなと思ったんです。それで一応、テストの協会に連絡して、「こうこうなんですけど」と相談しました。協会からは「診断書を取ってください」と言われたので、じゃあ取るかと思い、診断書を取りました。

薄々ディスグラフィアなんだろうなとは思っていましたが、改めて診断書を取ることにしました。過去の学校で書いた写真などを先生に見せて、「そうですね」という感じで診断書を取りました。

自分なりに工夫する方法をなんとなく見つけました。例えば、私は言葉を音として捉えるのが割と得意なんです。例えば、「草」という字なら、「まっすぐ、ちょんちょん」といった感じで音で覚えると、書けたりするんです。

言葉として覚えたら、それを体で動かして書く感じです。簡単な漢字、例えば「日」や「田」のような字は、皆さんも書けるんじゃないかと思います。なので、そういう方法で覚えたりしています。

 

Keyさんの子供時代について教えてください

 


私はいわゆる不登校で、小学校3年生くらいから学校に行かなくなりました。
字も得意ではなく、漢字テストも苦手でした。3年生以降はほとんど行かず、中学校も始業式と終業式しか行っていませんでした。


字も得意ではなく、でも当時はその理由が全然わからなくて、ただ「字が汚いな」と思っていたんです。漢字のテストもあまり得意ではなかったですね。


ただ、1、2年生の頃はまだ簡単だったので、それほど苦労はしていませんでしたが、3年生になると少し様子がおかしくなってきました。


図工の先生とも全然合わなくて、絵が苦手だったんです。その先生が私の描いた絵をひどく扱ったりもして、特に忘れられない出来事があります。

 

桜の絵を描いた時に、「なんだこれ、ムカデか」と言われたことがあります。それからクラスで馬鹿にされたりして、それがかなりのショックでした。


その他にも他の先生との合わない関係もありましたが、特に図工の先生の影響が大きかったですね。そういうこともあり、3年生の時点でほとんど学校に行かなくなり、その後も4年、5年、6年と全く通わなくなりました。

 

ただ、たまにその先生が個別に授業を見てくださったり、優しい先生がいてくれたので、少しは支えられました。


中学校に入っても学校に行くことはありませんでした。始業式と終業式だけの出席でした。その時、個別で授業を受ける形で、勉強はやっていましたが、義務教育の範囲内での学習だけでした。

今思えば、その学校に行かなかったことは、私にとって良かったと思っています。障害や学習障害があることを知らずに、ただ周りと比べて「自分の字が汚いな」とか「テストできないな」と思っていた時期が長かったですが、それでも劣等感を抱くことはあまりありませんでした。周りと比べることがなかったからです。


もちろん、今でも家で勉強している友人たちを見ると、自分が何もできないままでいることが悔しくもあります。

 

しかし、直接的にその劣等感として現れることは少なかったですね。このようにして、私はその後、学校に行かない生活を送りました。これもある意味で私にとっては良かった経験だと思っています。周りと比べないで生きることができたからです。

 

Keyさんの大学生時代について教えてください

 


大学ではパソコンでメモを取らせてくれるのが普通だったので、小中に比べると良かったんですが、たまに先生によっては、手書きで授業後に感想を書かなきゃいけないことがありました。その時は正直、苦労しましたね。


大学ではほとんどの授業が英語で、ネイティブの先生が多かったんです。英語はスペルが苦手でしたが、漢字よりは100倍マシですね。それで、パソコンでの回答も許可されていたので、便利でした。


試験に関しては、大学のサイト内で問題が表示されて、そこに答えていく形式のテストもあります。
CBTって言いますかね、コンピューターベースドテストです。


時々、手書きのみの試験もありますが、ある言語学の授業ではその一つで、日本語で手書きでの試験がありました。
その件に関しては先生に話して、私はディスグラフィアがあるので、ひらがななら書けるけど、その時の診断書がまだなかったので、ちょっと苦労しました。
大学の教授たちは割とリベラルで、そのような配慮に対して理解がある方が多いので、ありがたかったですね。

 

大学や高校の入試で苦労したことはありますか?

 


私は高校には行っていなかったので、高校卒業程度認定試験を受けました。
筆記ではなくマークシート形式だったので、読解には全く問題ありませんでした。
大学入試も同様マークシートだったため、問題ありませんでした。

 

 

日本語教師や英語教師を目指した理由はなんですか?

 

 

日本語教師になろうと思ったきっかけは、アメリカに1年間留学していたときに、バイトとして日本語の授業を手伝うチューターの仕事をしていたんです。そこで、あちらの学生に日本語を教えたりしていたんですが、それがとても面白くて。


普段使っているけど考えたことのない質問をされたりして、自分も考えさせられたりするんです。それがすごく楽しくて。また、言語学にも興味がありまして、それで日本語教師を目指すことになったんですね。


英語を教え始めたのは、コロナの影響で日本に戻れなくなってしまったからです。
日本での仕事も考えましたが、コロナの影響で外国人の帰国が増えて需要が減少していたんです。その一方で、おうち時間が増えたことで英語を学ぼうとする人が増えた時期でもありました。


日本語教師に戻るかは、戻ってもいいかなとは思いますが、今は英語教師の方が慣れてきたので、しばらくは英語教師としてやっていこうと考えています。ただ、日本語教師になる際のちょっとした不安もありますね。

 

最初は、ディスグラフィアを持っているという理由で、日本語教師になることができないのではないかと思ったこともありました。
でも、他の人に、「いやいや、だって考えてみな。あっちの漢字書けないんだよ。君も漢字が書けないんでしょう。同じじゃん」と言われて、その視点で考え直しました。


その結果、よりポジティブに考えるようになりました。パソコンなどのツールも使える今、上から目線ではなく、目線を合わせた教育ができると思うんです。それで良いんじゃないかと感じています。


日本国内の日本語学校でのディスグラフィアの扱いについては、ある程度理解が得られるところもありますが、自分で対処しなければならない場面も多いです。そのため、自営業を考えるきっかけにもなりました。

 

ディスグラフィアを持っているからこそ、その視点を活かして教育を行うことができるという風に捉えています。マイナスをプラスに変える考え方が大切だと思います。例えば、教員にはなれないかもしれないけれど、自分なりの軸を持って活動することが、良い結果を生む可能性もあるんじゃないかと。


ですので、ディスグラフィアを持っていることによって困ることもありますが、その一方で、自分にしかできないこともあると考えています。

 

今まで出会って良かった人との出会い

 

 

やはりディスグラフィアを知っている人や、理解してくれる人に出会うと嬉しいですね。

インタビューでもちらっとお話ししましたが、日本語教師を目指しているときに、漢字が書けない、板書ができないことが不安で諦めかけていたときに、「書けないということは、漢字を、日本語を学んでいる生徒の気持ちが誰よりもよくわかるということじゃないか。むしろ誰よりも向いているよ。」とある人に言われたことはとてもライフチェンジングな出来事でした。

 

LDを持つ子供に向けてのメッセージ

 

 

「マイナスがあればその分のプラスが必ず生まれている」

 

ということに気がついてください。これはこの世の絶対法則だと思います。例えばお腹が空いている事はマイナスですよね。

でも、その状態で食べ物を食べたらとても美味しいので、プラスとなります。

人に比べてできないことがあっても、その分、他の人には経験できないことや能力があるのではないでしょうか?

それに気がつく、探す力を持ってください。1人ではありません。

 

このエントリーをはてなブックマークに追加