発達特性に紐づく「好き」「得意」に関する考え方について

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ギフテッドという華やかな言葉が浸透してきている一方で、発達特性に紐づく、小さな「好き」や「得意」は、さほど語られないと考えています。実は、こういった小さな能力の突端には、日々の読み書きの言語療法などの中でも、日常的に接する機会があります。

 

例えば、読み書きは苦手だけど、視空間的な課題、パズルやプラモデルが得意、また特定のカテゴリーの生き物が好きで豊富な知識を持っていたりします。

 

日本の療育の文脈では「苦手さ」をサポートするという視点での関りが多いと思いますし、そうなってしまうのは仕方ないのですが、得意や好きにポジティブな文脈で筋道をつける事も大切です。

 

私は、こういう不安定でありながらも、興味関心や向き不向きの目印となりそうな、個人特性を「エッジ」と呼ぶようにしています。苦手な特性のコインの裏表として、何らかの脳機能レベルでの等価交換もあるのかもしれません。ハッキリわかっていない事も多いのが現状です。

 

1つ言える事は、学校は苦手な事を強いられる場所ですし、もしかすると生活全般が苦手な事で溢れているかもしれません。そんな中で認知的な避難場所のように「好き」「得意」の領域が機能している可能性があるという事。「好き」な対象、「得意」な活動は、負担なく取り組める事であるという事。

 

苦手な活動には、失敗したり、ネガティブな記憶も沢山あるでしょう。もちろん療育の役目として、そのようなネガティブな経験を減らす事があげられますが、どうしても、そのような経験を積みがちです。その一方で、得意や好きな活動は、褒められたり、驚かれたり、負担無く集中できたりと、ポジティブな経験も多く積んでいるでしょう。

 

負担が少なく取り組めて、ポジティブな経験を積んでいるから自然と向かうわけです。これは大切な目印だと考えています。苦手な事ができるようになったり、負担なく学べるように工夫してサポートすると同時に、得意や好きで取り組める領域をポジティブな文脈で伸ばしていく、歯車の両輪が大切だと考えています。

 

今は不安定で具体的な形を帯びては無いかもしれませんが、将来の仕事など、継続的に取り組める社会参加の機会に繋がる大切なポイントだと考えています。

 

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