H.Wさん(40代:就労支援員)の社会での困難と工夫:学習障害との向き合い方

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プロフィール:HWさん、40代後半

「大人の読み書きLD体験談」第4回目は、読み書きLDの当事者(書字障害診断済み)で就労支援員として働くHWさん(40代後半)です。学生時代に読み書きが勉強の足を引っ張り、自己肯定感が持てなかった事。パソコンが普及していなかった時代から、どのように困難を乗り越えてきたか、また現在の就労支援員として働くまでに至った経緯などを、お話しいただきました。

インタビュアーLedesone Ten

 

LDについての困りごとや診断された経緯を教えてください

 

 

私が診断を受けたのは、37歳の時です。精神障害が発症し、その過程でLDが判明しました。社会に出てからは、困りごとを感じる機会は少なかったのですが、小中学校の頃は、ノートに書くことが主流だったため、授業についていくことが全くできませんでした。中学校の通知表を見ると、成績はほとんど1や2で、数学だけがかろうじて少し良かった程度です。

 

小中学校の頃の様子を教えてください

 

 

小学校や中学校では、読むことも書くことも苦手でした。読みでは、文字が歪んで見えたり、読み間違いや読み飛ばしが頻発しました。

書くことに関して一番困ったのは、ノートを取るのが非常に難しかったことです。今の子どもたちも同様の問題を抱えているかもしれませんが、必死でノートを取ろうとしても、授業についていけないことが多く、ノートを取ることに集中するあまり、先生の話が頭に入ってこない状況でした。

試験時に書くことも苦手でした。特に、ひらがななら書けるのですが、漢字で書かなければならない場合は困難でした。作文や文字を読むことも多くの場合難しく、指示以外のことをするのが怖くてできませんでした。書き写しはできたものの、選択式の問題でも選択肢から正しく選ぶことが難しかったです。

私が苦しんだのは、小中学校で無理に真面目であろうとしたことです。できないのに「みんなが頑張っているんだから、自分も頑張らなきゃ」と思っていました。親に習い事をしたいと話しても、「勉強もできないのに習い事なんて」と言われました。

必死に人並みになろうと努力しましたが、宿題がなかなか終わらず、自己肯定感はどんどん下がっていきました。コミュニケーションも苦手で、友達も少なく、運動も得意ではありませんでした。

一つの転機がありました。中学校では全教科で苦戦していたのですが、中学一年生の時、数学の先生が特別に放課後の時間を作ってくれて、基本的な算数から丁寧に教えてくれました。夏休みも呼び出され、掛け算や割り算から学びました。

そのおかげで、中1の最後には数学が理解できるようになり、初めて小さな自己肯定感を得ることができました。もちろん、他の教科は相変わらず苦手でしたが、この経験は私にとって非常に貴重なものでした。

中学卒業後、関東地区の学校に進学しましたが、学業的にはあまり成功しませんでした。しかし、次第に「人と違ってもいい」と思えるようになり、学業では苦労しましたが、心の中では少しずつ開き直ることができました。数学以外の科目では依然として困難が続きましたが、自分のペースで進めることができるようになりました。

 

社会に出てからの仕事で困ったことや工夫などを教えてください

 

 

高校を卒業して社会に出た後、最初はハムの生産現場で働きました。そこでは、書く必要がなかったため、特に問題はありませんでした。その後、森永で派遣社員として働いた際も、書くことはあまりなかったため、困ることはありませんでした。

しかし、3社目で防犯関連の会社に転職した際は、手書きの伝票が多く、まだパソコンが社内に導入されていなかったため、大変苦労しました。字が読めなかったり、書き間違いをしたりすることが頻繁にありました。

そこで、パソコンを社内に導入する提案をしました。幸い、社長が新しいことに積極的でパソコン導入を全社的に進めてくれることになりました。この会社では16年間働きましたが、その後はパソコンの普及によって特に困ることはありませんでした。

実は、社会人になり自分の自由に使えるお金ができたとき、興味からパソコンを購入し、使い始めました。文字によるコミュニケーションには抵抗がありましたが、タイピングの楽しさに気づき、チャットなどで他の人とコミュニケーションを取ることができるようになりました。この経験を通じて、パソコンを使うことで仕事が楽になると感じ、提案したのです。

この16年間勤めた会社では営業職をしていましたが、コミュニケーションが主な業務で、営業資料を作ることは少し手間でしたが、相手の話を聞き、それに基づいてやり取りすることは自分に合っていると感じました。ライン工場のような単調な作業は、自分には向いていなかったと思います。

 

現在の就労支援の仕事をする経緯や適性について

 

 

その後、プライベートでも様々なことがあり、精神疾患を発症して会社を辞めました。

現在は就労支援の仕事に従事しています。私は障害者としての経験があるため、利用者さんの辛さを理解しやすいという自負があります。

しかし、面談中に過去の自分を思い出すことがあり、その影響で目の前の利用者さんへの支援に集中できなくなる恐れもあります。そのため、過去の自分に引きずられず、利用者さんの支援に専念することを心がけています。

読み書きに関しては、現在の支援業務では手書きの作業はほとんどなく、主にパソコンを使用しています。日報などもパソコンで対応しており、手書きが必要な場合は周囲に確認してもらっています。特に困ることはなく、恵まれた環境で働いています。

 

生活の中での困りごとや、工夫や望む環境について

 

 

やはり、銀行や役所での手続きが大変です。事前に必要な書類をもらって家でゆっくり書いてから提出するようにしています。

役所では、障害支援担当者に障害者手帳を見せると、サインが必要な部分以外を全て印刷してくれることもあります。また、病院での問診票を書くのもとても辛いです。

しかし、最近では近所の病院で問診票をタブレットやスマホで事前に入力できるところが増えてきており、そういった病院を選ぶようにしています。

仕事の面では、他社を訪問したときの入館手続きが苦手です。会社名を覚えるのが難しく、訪問直前までスマホで復習します。そのため、タブレットで受付をしてくれる会社や、事前にQRコードを渡してくれる会社は本当に助かります。手書きの入館手続きが必要な会社に行くのは大変です。

さらに、新しいテクノロジーに期待するのは、手書きを認識するツールが私の字でも正確に読み取ってくれるようになることです。また、考えたことがそのまま入力されるツールがあれば良いと考えています。

音声入力も良いのですが、考えたことがそのまま入力されるような技術があれば、非常に助かると思います。

 

出会って良かった人や、ターニングポイントとなる出来事はありますか?

 

 

大人になってから障害が診断されたため、特定の出会いで理解が深まったということは少ないですが、中学校の数学の教師が言った「数式や数字は空間で理解するんだ」というアドバイスが、今でも役に立っています。

また、パソコンの導入を認めてくれた社長の存在も大きかったです。社長は新しいもの好きで、いきなり全社で導入を決定しましたが、その後現場での効果が出て、非常に助かりました。

 

最後に、今後のLDの子どもたちへのメッセージをお願いします

 

 

私の時代とは異なり、今のLDの子どもたちは学習環境が非常に良くなっています。学習障害があっても学ぶことを嫌いにならず、自分に合った学習方法を見つけてほしいです。学習障害があっても、楽しく生きることができるので、悲観しないでください。

 

あと、LDに関連する話題でよく聞くのですが、手書きが苦手な子にタブレットを勧めるのは理解できますが、その子が手書きを学びたいと思っているなら、ぜひ挑戦させてあげてください。人は他人と同じようになりたいと願う気持ちもあります。その努力を無駄と決めつけるのは違うと思います。

 

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