Kさん、リフォーム会社経営(47歳)|文字の負担が少ない得意分野で活躍

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「大人の読み書きLD体験談」第一回目は、九州でリフォーム会社を経営されるkさん(47歳)です。読み書きが苦手だった幼少期を過ごしながらも、図工や体育など身体を使いながら学ぶ事は得意でもありました。小学校、中学校では勉強が嫌いでしたが、高校進学後は中退して、働きながら様々な仕事を巡り、塗装技能を中心に様々な内装の技術と経験を身に着けていきました。今では、会社を譲渡されて、書類など苦手な事は奥様と二人三脚でこなしながら、リフォーム関係の会社を家族経営されています。

 

【プロフィール】

kさん

47歳  男性

現在は、九州でリフォーム会社を経営している。妻と子供4人で暮くらし。

LDタイプ 読字困難、書字困難

インタビューアー:宮﨑圭佑

 

 

(宮﨑)kさんの子供時代(学校生活・家庭環境など)を教えてください。

 

(kさん)

 

私は九州の田舎で産まれ育ち、今でも、その土地の近くで、仕事をしています。小学校の時から、文字を読んだり、覚えたりすることは苦手でした。特に小学校の1、2年生の時は、読むことは全くに近いくらい出来ませんでした。そこから平仮名はある程度は慣れてきて読み書きできるようになりましたが、大人になっても、たどたどしさが残り、読むと疲れます。カタカナは中々覚えられず、漢字は繰り返し書いても忘れてしまいます。

 

小学校時代は、文字を介して学ぶ勉強はさっぱりで、授業中はボーッと過ごしていました。漢字テストなども壊滅的でした。特に段落ごとに読むみたいな国語の音読授業で順番が来るのがすごく嫌な気持ちで待ってた記憶があります。

 

宿題はありましたが、あまり出したことがありません。私自身、お調子者な所があり、周りの子に、写させてもらったりと、何とかクリアしていました。学校の先生に「頑張ってやるように」と言われた事は、何度もあります。九州の田舎ですし、今と違って、そこまで勉強のプレッシャーが強くない時代でもありました。

 

私は勉強面以外では「図工」が得意でしたし、また「体育」なども得意でした。だからクラスでも人気者だったと思います。身体を使って覚える事が得意だったと思います。あと、読み書きは苦手ですが、算数的な感覚は優れていて、算数計算は得意でした。

 

家庭では、親からは勉強しろと厳しく言われる事も、そこまでありませんでした。聞いていないので、詳しくは分かりませんが、父親にも読み書きの苦手さがあったと思います。書類を書く時に、何故か母親が代筆する場面が多かった記憶があります。

 

読み書きの苦手さ以外では、お調子者で落ち着きないので、よく先生に怒られていた記憶があります。ただ、他にもヤンチャで怒られてる子は大勢いたのでその中の1人という感じで気にしていませんでした。

 

意外に感じられるかもしれませんが、学校は大好きで休んだ事はありませんでした。

 

(宮﨑)中学進学後の学校生活はどんな様子でしたか?

 

(Kさん)

中学でも、勉強は相変わらず全然で、授業中にボーッとしているのは、変わらずでした。ただ「音読」の授業などが小学校時代よりは減った事で気が楽になりました。テストは、0点という事は無く、数学の図形分野や計算など特異な分野の領域では、マシな点数も取っていました。比較的楽しく通った記憶があります。

 

中学時代に一番失敗したと感じる思い出として、私は中学3年生の時に家庭の都合で転校しているのですが、転校先の学校でESS(English Speaking Society)という英会話の部活に入ってしまった事です。友達に誘われて、紙に何が書いてあるか読まずに申し込んだのですが、入ってから気づきました。英語が苦手なこともあって苦痛でした。

 

(宮﨑)高校卒業後の進路について教えてください。

 

(Kさん)

 

中学卒業後の進路として、、働きながら学ぶ定時制の工業高校に入学しました。でも、そこには2週間で行かなくなりました。勉強よりも、働く事に夢中になっていたんですね。

 

最初は内装業の会社にアルバイトとして働き始めました。朝が早いなど、苦労はありましたが、自分の「身体を使ってモノを覚える」のが得意な性質もあり、学校の勉強よりも「仕事」の方が遥かに性に合っていました。やはり「読み書き」の機会が少ない仕事だったので、負担が少なかったのも大きいと思います。

 

あと、今考えると、職人の同僚などをみていても、私と似たような読み書きが苦手な人が、結構いました。

周りも似たタイプなので、気にならなくなるような安心感もあったのかもしれません。

 

自分の力で、お金が稼げて、遊べるなど、学生時代に比べて、生活の自由度が上がったこと自体が、とても良かったです。

 

(宮﨑)そこで現在の内装業の技能と経験を身につけられたのでしょうか?

 

(Kさん)

 

もう少し後で就職する塗装会社の塗装部門で、塗装技術を軸に、幅広く内装業の技能と経験を学びました。

 

内装業のアルバイトは、2年ほどで辞めて、次に「露天商」の仕事を始めました。お祭りとかで、リンゴ飴やイカ焼きなどを売る、あの露店です。これは土日とかしか出番が無い仕事なのですが、明確に辞めたという線引きがなく、お祭りなどがあれば出向いたので、次の仕事に勤めていた時も続けていたのですが、徐々に行かなくなりました。

 

次に仕事をしたのはパチンコ屋で、ここでは、パチンコ台の整備をしたり、玉を運ぶ仕事をしていました。

 

私は10代後半から20代前半にかけて、内装業、露店商、パチンコ台の整備と3つのタイプの仕事を渡り歩きましたが、どの仕事も読み書きする機会が少ないので、困りごとは少なかったです。唯一、内装業だけは、終わったら「日報」のようなものを書く必要があるのですが、これは最初は苦労しましたが、続けていると同じ内容を書けばよかったので、負担に感じなくなりました。

 

(宮﨑)今の仕事に繋がるキッカケを教えてください。

 

(Kさん)

 

今の仕事に繋がる人との出会いは、実はパチンコ屋で勤めていた時にありました。数年前の内装業に勤めていた時に知り合った、そこそこ大きな塗装会社の社長さんがおられました。彼が偶然、パチンコに来ていて「ウチで働かないか?」と声をかけていただきました。働く事に決めました。

 

その塗装会社の塗装内装部門に配属されて、そこで本格的に塗装や、その他の内装関係の技能と経験を身に着けました。高校卒業から紆余曲折あり、ここでようやく、自分の生涯の天職と出会えたと感じました。

 

実はこの時期に、今の妻とも出会いました。

20代の前半は、多くのターニングポイントとなる出会いがあった時期だと感じています。

 

仕事の面では、読み書きとは別の理由で、苦労する事もありました。

 

子供時代もそうですが、自分は方向感覚や身体感覚が優れていて、職人技能などを、早く吸収して覚える事が出来ます。職人集団に入っても、とても早い段階で、1番ではありませんが、2番手くらいの技術に到達してしまうのです。

 

これは、職人仕事が合っているという良い面がある一方で、古株の先輩たちには、面白くない若手であり、よく仕事のやり方を巡って対立してしまいました。

この塗装会社を辞めた後も、別の施工事務所に勤めるのですが、そこでも対立があり「自分で独立するタイミングかな」と考えて、平成15年、26歳の時に独立を決意しました。

 

(宮﨑)独立してからの仕事の調子はどうでしたか?良かった面と、苦労した面など教えてください。

 

(kさん)

 

独立当初は、仕事が少なかったり、お金の振り込みが遅れて資金繰りに苦労したりしましたが、徐々に軌道に乗り始めました。

 

大変だったことは、意外にも雇われ職人の時よりも「事務仕事」が増えた事です。今までは会社の事務の方に任せていた、見積書の作成、請求書、確定申告など、読み書きが必要な場面が増えてきました。

 

独立後は、事務仕事の面では、妻のサポートもあり、何とかできています。とても、ありがたい事で妻には感謝しています。

 

良かった事は、自分の裁量で仕事が出来るようになった事ですね。先輩の職人との対立もありませんし、人間関係の苦労が減りました。

総合的に考えて、自分は勤め人よりも、独立して良かったと感じています。

 

あと、最近の大きな仕事の転機として、コロナの少し前に、取引先の経営者の方から打診されて、リフォーム会社自体を譲り受けた事があげられます。

 

この会社の取引先を引き継いで、塗装だけではなく、リフォーム含めた総合的な施工管理の仕事を今ではしています。

コロナ時の緊急事態宣言で社会が止まって、仕事も大きく落ち込んでピンチな時期もあったのですが、今は軌道に乗っています。

様々な出会いが、転機に繋がっているので、私は人に恵まれているなと感じています。

 

(宮﨑)読み書きが苦手な人にとって「こういう支援やツールがあれば良いな」というものがあれば教えてください。

また、最後に「読み書きLD」を抱える子供たちにアドバイスはありますでしょうか

 

(Kさん)

 

声に出すと、すぐに文字になって、紙に文字が書かれるようなツールがあれば良いなと思います。また、文字を見たら音声化されるメガネなど(もうすでにあるかもしれませんが)、そんなところですかね。

 

LDの子供達に対するアドバイスですが、宮﨑先生に教えてもいただきましたが、私のように読み書きが苦手な方は、脳の特性が大きいと思います。ですので、読み書き負担の少ない分野で、かつ自分の好きな、続けられそうな仕事などを、いろいろやってみるのが良いのではないでしょうか。

もちろん、今後は便利なツールも出てくるでしょうし、昔よりは環境も良くなってくるのかもしれません。

 

ヒトとの出会いと、運の流れを信じて、より自分が向いていそうな方向に歩む事が大切なのかなと思っています。

 

今までの、私がそうであったように。

 

 

【宮﨑の感想】

読み書きLDの概念が浸透していなかった時代に、教育を受けて社会に出たKさんのお話は、とても希少な情報だと感じました。きっと語られなかったご苦労もあると思います。

①一番苦手なこと(Kさんの場合は読み書き)、

②大きく負担ではないこと(早起きや人間関係)

③得意なこと(身体感覚、数概念の操作、視空間イメージ)の3つのうち、

①の負担が少なく、周囲の人の助けも借りつつ、③の得意な分野(内装技能)で、②でカバーしながら、パズルのような組み合わせで、上手く仕事されているのではないかと感じました。

あと、Kさん含めて、多くの人に共通するのは、良き人との出会い(奥様や塗装会社の社長)が、人生の収まるべき仕事含めた生き方に導くのだなと再確認することができました。

始めから、キャリアパスを完全に周囲が決めてしまうのではなく、本人の意思で、大まかに向いていそうな方向へ旅するよう探索的なプロセスが、上手く偶発的計画性の針を進めたのだと思いました。

今の時代は、Kさんの時より、支援環境など恵まれてもいますが、社会の余裕やおおらかさは減り、窮屈にもなっています。今の子供たちに大切なのは、その旅に向けたエネルギーを、保全する余裕のようなモノなのかもしれません。

 

 

 

 

 

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